空中楼閣

第一章 トゥールーズ-パリ(一)


 フランス南西部の大都市トゥールーズは、一九二〇年代にフランスを北アフリカの植民地と結ぶ航空路の出発点に選ばれたとき以来、現在にいたるまでヨーロッパの航空産業の中心地であり続けている。航空技術の黎明期に、アフリカや南米への定期的な郵便航空という画期的な事業を興《おこ》したアエロポスタル社のパイロットたちは、長距離飛行の前日に、トゥールーズでもっともきらびやかな中心エリアである〈キャピトール広場〉近くのホテルに宿泊していたという。いまだ航空機の技術も装備も未熟で、幾度も幾度も失敗を重ね、人的犠牲を重ねながら、手探りで進むしかなかった時代のことである。有名無名のパイロットたちは、夜毎ホテルの窓から空模様を見つめ、仕事の幸先の善し悪しを占っていた。当時の航空機は現在のように風防《キャノピー》があるわけではなく、操縦席が外に剥き出しだったのだから、多少の天候の乱れでさえも飛行士にとっては一大事だったのだ。それは途轍もなく不安な夜だったのだろう。粛々と果たされるべき日々の職務それ自体が、絶えず命を危険に晒す綱渡りでしかないという事実と向き合い、二度と祖国の土を踏むことが出来ないかもしれないという不安に駆られながら、夜空を見つめる彼らは何を思っていたのだろうか?確かに、彼らがこれから挑むことになる、ピレネー山脈を、大西洋を、はたまたアンデス山脈を越える航路は死と隣り合わせの危険な旅路であった。だがそれだけに尚更、それは空の男たちの武勲の伝説を紡ぎ上げる輝かしい花道でもあったのだ。その未来の栄光に鼓舞されながら、彼らは不安という心の中の暗雲を拭い去っていたに違いない。
 アエロポスタル社の飛行機乗りたち――そのうちのひとりは、作家としても高名なサン=テグジュペリである――が集ったホテル「グラン・バルコン」はいまなお営業を続けており、航空の夜明けの時代の雰囲気を現代に伝えてくれている。もしトゥールーズに立ち寄る機会があれば、彼ら勇敢な飛行士乗りたちの足跡を辿ってみるとよい。すると、当たり前のように毎日訪れる夜の空に、ひときわ異なる感慨を抱くはずだ。ここで私が見ているのは、彼ら空の冒険者、空の開拓者たちが、その出発の前日に一喜一憂しながら眺めていたのと同じ空なのだ、と。

 航空技術の発達により、空の交通は以前ほど天候には左右されなくなった。しかし今になっても、ヨーロッパ最大の航空会社エアバスの本社、宇宙開発局、民間空港と空軍基地、そして国立航空学校と、空に関わる職業と施設のひととおりを揃えているこの街で、先人がそうしたように明日の天候を気にしながら夜を過ごす人は少なくないだろう。ちょうどその日トゥールーズの夜空には、重苦しい雲がたれ込めていた。それを四階の自室の窓から見つめているのは、航空学校の生徒であるひとりの少年だ。パイロットになることを夢見て遠い国からやってきた彼は、一年あまり住み続けているこの地方の空の性格については既に心得ていた。このあたりでは、夜のうちに一気に天気がぐずつき、雷を伴った大雨が降ることはしばしばあった。とはいえ朝になると嘘みたいに晴れていて、地面に点々とできた水たまりだけが昨夜の名残となるのが常だった。今回もきっとそのパターンだ。たとえ夜のうちに天気が崩れても、朝になれば回復してくれるに違いない。楽天的に考えようと努めはしたが、まだ飛行実習を始めたばかりである彼に、天候を含めたあらゆる要素における不安を拭い去ることは難しかった。ここ半年ばかり自分を指導してくれている教官が明日は不在であるということが事前に知らされており、そのことが尚更彼の心細さを増大させていた。
 少年は、自分自身の臆病心をなだめすかすかのように、わざわざ自らの〈希望〉を口に出して述べた。
「大丈夫、きっと大丈夫。朝になったらきっと晴れてるよ」
 ――心でぼんやりと思い描こうとしていた〈希望〉が、こうして言葉にすると、まるで具体的で確固たる、形のある何かに変化したような心強い気持ちがした。
「まぁ、なんとかなるよね」
 ややこわばっていた少年の顔が徐々にほぐれてきた。彼は雨戸をしっかり閉めて、明日の訓練に備えて早めにベッドに入った。そうしている間にも、暗雲は北のほうへと流れていった。

第一章(二)へ続く
2013年5月28日掲載。作者:上喜ミチヒロ(大海 www9.nixe.jp