空中楼閣

第一章 トゥールーズ-パリ(二)


 フランス空軍少将パトリス・ユビュは、やや緊張した面持ちで、トゥールーズ発パリ着のエールフランス機の到着を待っていた。ユビュからやや離れた位置に立っている同行の秘書官もまた、落ち着きのない様子でしきりに腕時計を確認している。彼らの〈待ち人〉は、国内線向けのエアバスの小型旅客機のタラップを降りると、そのまま公用車に乗り、ユビュのいるパリ・シャルル・ド・ゴール空港内の会議室に招かれる手はずになっていた。今朝方の雷雨の影響により、トゥールーズでの離陸が数十分遅れていることはあらかじめ知らされていた。EU主要国を挙げて競うように開発された〈ファントム兵器〉の実戦投入を一年後に控え、フランスにおけるファントム兵器部門の代表者として殺人的スケジュールに追われる日々を送っているユビュにとっては、予定の半時間以上の遅れは致命的だった。彼は空港での面談のあと矢継ぎ早に、専用機に乗ってブルターニュ地方の港湾都市ブレストに行くことになっていた。それは、当地に寄港しているスペインのファントム艦〈クリストバル〉に合流し、彼らといくつかの仕事をこなす必要があるからであった。

 〈待ち人〉の飛行機の遅れ以外にも、ユビュを不安にさせる要素は多々あった。多忙なユビュが〈彼〉のトゥールーズ-パリ間の旅程の詳細を知ったのは、その訪問の前日のことであった。部下によって既に組み立てられていたスケジュール表を前にして、ユビュはパリ空軍本部の自室のデスクでしばらく頭を抱えこんでしまったが、いつまでもこうしてはいられない、とにかく早く手を打たねばと、即座に心当たりのありそうな秘書官を自室に呼びつけた。
「〈SO1−F(フランス語読みでエソーアンネフ)〉のパイロットのパリ訪問、本件をコーディネートしたのは誰だね」
「私ですが」
 まだ二十代前半と見える金髪の秘書官は、突然の上司の呼び出しに面食らった様子ではあったが、背筋を正して堂々と応じた。
「まったく、なんてことをしてくれた。こういうことは庶務に通す前に私にひとこと相談してほしい」
 珍しく不快感をあらわにしているユビュを前にして、しかし若者は、自分の仕事に何の落ち度があったのか皆目分からない。不当な叱責を受けたとでも言いたげに小さく眉をひそめ、間髪を入れずに反論をはじめた。
「しかしユビュ少将、私が組んだスケジュールに、何か異常なところなどありますでしょうか。明日の〈彼〉のご予定についていま一度復唱させていただきます。〈彼〉は明日朝八時一〇分の便でトゥールーズ=ブラニャック空港を出発――ちなみにエールフランスのビジネスクラスの席をお取りしています――パリ・シャルル・ド・ゴール空港までの飛行時間は一時間二〇分。その後、本来ならば〈彼〉をここ空軍本部までお連れするところですが、同日午後にユビュ少将がブレスト港にて〈クリストバル〉の〈ファントム様態〉実験に立ち会われるというご予定をかんがみまして、〈彼〉との面談はシャルル・ド・ゴール空港内の会議室で行うことになっております。予定された面談時間は一時間半。その後すぐにユビュ少将は、同空港ターミナル3で待機しているダッソー・ファルコン機に搭乗し、ブレストへ向かわれます。〈彼〉の方は、わたくしどもが用意した車で空港からパリ市内までお連れいたします。〈彼〉が常宿としている一〇区のホテルについては事前に情報がございましたので、そちらを一室予約しました。その翌日〈彼〉は、国防省で陸海空軍の代表者と〈ファントム兵器〉の戦略的理念に関する会談にご出席。翌日朝エールフランス機でトゥールーズに戻られます。どうでしょう、別段問題がございますでしょうか」
 秘書官が以上のようなスケジュールをぺらぺらとまくしたてている間にも、ユビュの顔色はどんどんと青ざめていき、その大きな体は見る見るうちに弾力のある革張りの椅子の中へと沈んでいった。ようやく部下の長口上が止むと、ユビュはしばし考え込んだ様子で、椅子になかば体を埋没させたままクリーム色の天井のほうに目線をさまよわせた。やがて所在なさげな手つきで細い金属フレームの丸眼鏡を外し、ねずみ色の柔らかいクロスで拭きはじめた。そしてぽつりと独り言のように話しはじめた。
「……まぁ、君はまだあの〈ファントム戦闘機〉一号機のパイロットに会ったことがないのだったね」
 椅子に沈み込んでいた姿勢を正し、眼鏡を掛けなおしながら、ユビュはやっと秘書官のほうに目線を向ける。
「はい。私は先日ここに配属されたばかりですので」
 この秘書官は、ユビュがくだんのパイロットと長い付き合いであるということは既に聞き知っていた。彼は今でこそこうしてパリ空軍本部に自身の執務室をもつ身分だが、ほんの一年ほど前まではトゥールーズ郊外ブラニャックの空軍基地で、〈その男〉の直接の上司として働いていたのだ。
「そういうことですから、もし〈彼〉について何か私が知らなければならないことがあるとしたら、是非いまここで教えて頂きたいのですが」
 言いつつ秘書官がふところから手帳を取り出し、殊勝にも学び取る姿勢を見せたところで、さきほどまで言葉少なだったユビュが堰を切ったようにつるつると話しはじめた。
「そう。〈あの男〉はとにかく神経質で問題含みの性格だから、周囲の人間は彼の身辺に起こりうるあらゆる事態を想定して、あらかじめ予防線を張っておかなければならない。心配の種はいろいろとある」
「はい」
「まずは彼をひとりでエールフランス機に乗せることだ」
「え、そんな……」
 ここは聞き役に徹しようと心構えをしていた秘書官も、はなからこのような不合理を言われてはたまらないと思わず口を挟んでしまう。
「そんな。あんまりです。仮にも戦闘機のパイロットともあろうひとが、まさかひとりで飛行機に乗れないわけがないでしょう」
 呆れ返ったように少しうわずった声を上げる若者に、ユビュは「きみが驚くのももっともだ」とでも言いたげな悲しげな視線を寄越す。
「さらに言うなら、本当は彼が家を出て空港に行くまでの途上でも、何かやらかさないか不安なくらいなんだ。まあ、無論常識的な成人として、空港に行き、搭乗手続きを済ませ、自分が乗るべき飛行機に乗るぶんには別段心配はないだろう。だが彼は、何もないところに問題を見いだし、事を無用に荒立て、火のないところに煙を立たせる才能があるようなんだ。一度なんか機内持ち込み手荷物の安全剃刀を捨てる捨てないなんて些細なことで大声を出して、空港の職員に掴み掛からんばかりの状況になって……そのときは私が間に入れたからよかったものの……」
「それはまあ……物騒というかなんというか」
「うーん、それはそうだね……これでも昔よりはましになったと思うんだけど……」
 ユビュは、自分の子どもの過ちが咎められたときのように、なぜだかひどく申し訳なさそうな顔を作った。
「そう、そして〈彼〉が問題なく飛行機に乗れたとして、次は座席の位置に配慮しなければなるまい。なるべく周りにひとが少ない座席に……その辺は臨機応変に対応してもらえるよう、航空会社に申し渡しておきたまえ」
「はい」
「なぜかというと、彼はとにかく神経質で、ありとあらゆる細部までこまごまと気に掛けてしまう人間だからね。彼は手持ち無沙汰になると、近くにいる人の話の内容に注意を向け出して、その話に関してなにか持論があれば、相手が知らない人でも構わずに、席を立って割って入りたがる。まあ、とにかく思ったことは口にしなければ気が済まない性分なんだ。それで口だけで済めばいいが――口だけにしても迷惑だけど――悪いときには手や足も出るから」
「ええ……」
「それと、〈彼〉は子どもに興味があるみたいで、乗り物なんかで近くに小さい子がいたら、やたらと構いたがるんだ。本人は楽しいんだろうけど、絡まれる子にしたら怖いだけだからね。なるべく近くに寄せ付けないのが無難だ」
 ここまでくると事態が逆に滑稽に思われて、秘書官は思わず吹き出しそうになる。しかしユビュの深刻げに曇った表情を見て、いま一歩のところでこらえた。
「そういうわけで、色々な意味で座席の位置には気をつけてもらいたいんだよ」
「分かりました。航空会社のほうにそうお伝えしておきます」
 部下の頼もしい返答にうなずきつつも、ユビュはなおも不安げな顔をしている。
「で、仮に周りの座席に注意に値する人間がいなければ、〈彼〉は暇に任せて勝手に設備の清掃の点検をはじめるだろうね。掃除が行き届いていないとみるや、添乗員に文句を言い出す。だから、その辺も手抜かりがないようにとお伝えしておきなさい」
「はぁ……」
 上司の口から次から次へと出される要求が、ヨーロッパ連合を挙げた一大軍事プロジェクトの当事者をお迎えする用意にはいかにも不似合いなので、秘書官は目を白黒させている。
「とにかく、〈彼〉が余計なことに気を逸らさないように配慮することが肝要だ。本や新聞を読んでいる間は――まあ多少独り言は言うかもしれないけど――おとなしいものだから。それにそうそう、これが一番重要な点なんだけど、彼が民間の旅客機を利用するときは、とにかく社名のロゴが入った品物をもらうのを楽しみにしているんだ。機嫌を損ねないように先手を打って、航空会社のほうになにかおみやげを用意してもらっておきなさい。何も出てこないと見るや、座席や尾翼でももぎ取っていきかねないから」
「了解いたしました」
 相づちを打ちつつ、手帳に書き連ねた奇妙な連絡事項の数々を読み返して、秘書官はほとんど呆れ返ってしまう。ユビュは普段は冗談など一切言わない生真面目な人間なのだが、今日ばかりは彼の言うことすべてが馬鹿げて聞こえる。上司の嘆きにも似た繰り言を聞いているうちに若者は気付きはじめている。ユビュのこの身振りは、いまいち子どもの成長と潜在能力を信頼しきれないために、何事にも気を配りすぎてしまう過保護な親のそれに似ていると。ユビュ少将はきっと心配のしすぎなのだ。さすがに小国の一年の国家予算ほどの莫大な開発維持費を投じられている新型戦闘機のパイロットともあろうひとが、それほどひどい人格破綻者であるわけがなかろう。
 ユビュは、なおもスケジュール表に目を落としながら話を続ける。
「で、〈彼〉にシャルル・ド・ゴール空港まで来てもらい、私との面談を済ませたのちには、公用車に乗せてパリ市内に連れて行く、と。まあ〈彼〉は基本的に〈運転手〉と名のつく職業の人間には敬意を払う男だからしてさほど心配はいらないかもしれない。だが念には念をだ。〈彼〉を知っている運転手を迎えに行かせるように計らおう。あとで私が紹介しておくから」
「了解いたしました」
「それに、気になったんだが、〈翌日、陸海空の代表者と会談〉って、どういうことだね。明日明後日と、私も〈フェルディナン〉もブレストに釘付けになっているというのに、一体誰が来るっていうんだね」
「はい。大体〈彼〉と同世代の、若い士官たちが選ばれました。明日のフランスの国防を担う若者たちに、これから立ち上がるファントム兵器の実戦投入について、有意義な議論をしていただくという――」
 ――秘書官の言葉は、ユビュが丸眼鏡をとりおとす乾いた音によって遮られた。
「最悪だ。〈あの子〉は同じ年頃の若い男を、喧嘩を売る相手だとしか思っていないんだよ。殴り合いで済めばいいが、まさか会議室で内戦を勃発させやしないだろうか。ああ。最悪だ」
 頭を抱えて狼狽しはじめたユビュを見て、若者のほうもほとほと困り果ててしまい、大丈夫ですよ、〈彼〉も喧嘩する場所をわきまえる程度の分別はお持ちですよきっと、なにせ国防省ですよ、などと声をかけてやったが、当のユビュは、いやむしろ〈あの子〉の場合、やってはいけない場所でやってはいけないことをやってしまう技術に長けているのだから尚更悪いんだ、とかき口説く。床に転がった眼鏡を秘書官が拾って渡してやると、ユビュはやっといくらかの平静を取り戻した。「割れてないかね」「大丈夫ですよ」「折れてないかね」「大丈夫です」と簡単に自分の体の一部の無事を確認して、それを大事そうにあるべき場所に収めなおした。
「取り乱してしまったようで済まなかったね」
「ええ……」
 秘書官は、普段穏便すぎるほどに穏便な上官がこれほどまでにひどくうろたえているところを目にするのははじめてであった。その困惑が隠せそうで隠せなくて、口から飛び出る返事もいきおい曖昧なものになってしまう。
「とりあえず、君も明日はシャルル・ド・ゴール空港まで同行しなさい。フランスのファントム戦闘機二機はトゥールーズ=ブラニャック基地に、そしてファントム兵器司令部はここパリにある。君はこれから両者を結ぶ橋として働かねばならないのだから、この機会に、そのパイロットのひととなりを知っておいたほうがいいだろう」
「はい、喜んで御伴《おとも》させていただきます」
 いま実用化の途上にある「亡霊《ファントム》」と呼ばれる新型兵器については、その技術の類稀《たぐいまれ》な特殊さと機密性ゆえに、最近立ち上がったファントム兵器司令部の構成員に対しても、いまだ部分的にしか明らかにされていなかった。いわく、それは物理攻撃を受け付けない特殊な装甲をもつ。いわく、それはいかなるレーダー感知も回避する、特殊なステルス性能をもつ。その上ケロシン(一般にジェット戦闘機の燃料として使用される石油の一種)ではない、「ある種の代替燃料」を用いるという。秘書官は、自分のごとき新参者がこの秘密に参入できることを嬉しく思ったし、またこの一筋縄でいかなそうなパイロットが実際いかなる人物なのか、強く興味を引かれてもいた。

第一章(三)へ続く
2013年6月18日掲載。同月21日改稿。作者:上喜ミチヒロ(大海 www9.nixe.jp