空中楼閣

第一章 トゥールーズ-パリ(三)


  昨日の以上のようなやりとりの結果、このふたりがいまこうして、シャルル・ド・ゴール空港の会議室で〈くだんのパイロット〉の到着を待つ運びとなったわけなのだが――面談の予定開始時刻からすでに三十分ほどが経過しようとし、そろそろ二人がじりじりし始めた頃である。〈彼〉を迎えに行っていた下士官から、やっと連絡が入った。秘書官が内線電話をとり、簡単に返事を済ませて、ユビュの方に向き直って報告した。
「〈子犬〉准尉が到着されたとのことです」
 若者によっていささか無礼な台詞が述べられたが、子犬という意味の〈ロケ〉というのが、ユビュの待ち人の名前なのだった。
 それから数分経った頃、廊下からかつかつと数人の靴音が近づいてくるのが聞こえてき、ふたりが待ちうける部屋の扉がノックされた。
「入りたまえ」ユビュが声を掛けると、
「第101トゥールーズ=ブラニャック空軍基地より参りました、アルフォンス・ロケ准尉、入ります」
 ようやく待ちわびていたその男が入ってきた。オリーブドラブ色のフライトジャケットに青いジーンズという、改まった場の雰囲気にそぐわぬひどくラフな格好をした長身の青年である。彼は制服を着た二人の軍人に伴われて憮然とした様子で突っ立っており、一見してどうも連行されているチンピラにしか見えなかった。その面立ちは二〇代半ばという実年齢の割には幼く、しかめっ面さえしていなければ造形自体はなかなかの男前だ。そして頭髪の燃えるような印象的な赤色が、彼の軍人であるとは思えないほど異様に白い肌を際立たせていた。彼はティアドロップ型の偏光サングラスをかけっぱなしにしていて、眉間には不快感を示す深いしわが刻まれていた。日差しがまぶしいのだな、とユビュが気づいて、秘書官に言ってブラインドを閉めさせた。するとロケはやっとサングラスを外した。その下に隠れていたのは病気に罹った犬のような濁った灰色の瞳だ。それをまともに見てしまった若い秘書官は一瞬はっとして息を止めた。白目よりわずかに色の濃い鈍い灰色の虹彩を持つその瞳は、角度次第ではほとんど白目を剥いているように見えるので、彼はときどき盲人と間違われることがあるほどだった。
 繊細な目を煩わせていた日差しから逃れることが出来たとはいえ、ロケはなおも機嫌が悪そうで、制服の間に窮屈そうに挟まれて、じいっと自分のつま先を睨んでいる。
「ご苦労だったね。もうきみたちは下がって宜しい」
 ユビュがそう言って付き添いを退室させると、ロケはわずかに警戒心を解いたようで、やっと面を上げた。だが今度は見覚えのない若い秘書官の存在が気になり出したようで、眉根を寄せ、切れ長の瞳でその同じ年頃の若者をぎらりと睨《ね》め付けはじめた。彼の眼差しに悪意があるのかないのか、ただ単にもともと目つきが悪いだけなのか判断がつきかねて、秘書官はどぎまぎした。いずれにせよ居心地の悪いことに変わりはない。
 とはいえロケはその見知らぬ若者のほうにはすぐ無視を決め込んだようで、表敬の意をあらわすため、姿勢を正し上官のほうへと歩を進めた。ロケが目先五〇pほどまで近づいてきたところで、ユビュは椅子に座ったまま大きな手のひらを前に差し出した。瞬間、ロケの端正な目元が不貞腐れた子どものようにくしゃりと歪んだのを、秘書官は目撃した。彼は右手をジーンズの腿のあたりで気持ち程度にさっと拭い、手荒な動作でユビュのほうへ突き出した。そして握手を交わしながら、自分のほうから言葉を掛けた。
「お久しぶりです、ユビュ少将」
 すこしかすれ気味だがトーンは高い。よく響く大きな声だ。
「ずいぶん遅かったじゃないか」
 冷ややかなユビュの声には、何よりもまず遅刻を詫びるべきではなかったのかとの批判の色がにじむ。
「乗ってた飛行機の機長に、ちょっと説教をしてたもので」
 一切悪びれていない様子だ。
「説教ねえ。どうやらここに来るまでに一悶着も二悶着も起こしてくれたようだな。まあとりあえず来てくれてよかった。掛けたまえ」
「ありがとうございます」
 秘書官が近づいて椅子の背を引いてやろうとしたが、ロケは「いいよ」という身振りでそれを制した。彼は腰掛けるとすぐに、用意されたコーヒーを白いあごを持ち上げてぐいと飲み干し、一息ついたのちに話し出した。
「今朝トゥールーズは雨が降っていたんですけど、パリに来たら嘘みたいに晴れていて、驚きました」
「ああ、そのようだね」
 彼らは当たり障りのない天気の話題からはじめたが、既に二人の会話を記録するためのボイスレコーダーの録音ボタンは押されていた。
「南西部も天気が持ち直してくれたらいいのですが。今日は航空学校で飛行実習があるんです。自分の学生のことを見てやれないのが、若干心もとないですね」
 ……おやおや。この男にもとうとう、若輩《じゃくはい》の人間を思いやる気持ちが芽生えたのかね。ユビュはそう考えながら眼鏡の奥で目を細める。
「今日はブレストは冷えるそうですよ。雨で……」
 ロケは、ユビュがこの面談の後ブレストに行くことを、新聞かなにかで知ったのだろう。彼のフライトジャケットのポケットには、機内でもらったと見えるトゥールーズの地方新聞がつっこまれたままになっていた。
「ああ、それは残念だ。今日はあっちでクリストバルの〈ファントム様態〉実験に立ち会うことになっているのだけどね。まあせいぜい風邪をひかないように気をつけるよ」
「ええ」
 言いつつもロケはその視線を眼下の白いカップの底の茶色のしみのあたりに泳がせている。どうもひとの目を見ながら会話するのが苦手らしい。ユビュは気にせず話を続ける。
「こうして、〈ビスマルク〉に続いて〈クリストバル〉の第三様態の実験が成功したとなると、今度はうちの二号機の番だね」
 ビスマルクは、スペインのクリストバルよりも先に完成したドイツのファントム艦である。単純に製造年の順に並べれば、フランスの二機目のファントム戦闘機が、いま世界で最も新しいファントム兵器ということになる。
 ユビュの言葉を受けて、ロケは確信に満ちた様子でうなづいた。
「そうですね。ひとが死んだり異動があったり、ここのところおれも週の半分は基地にいれないしで、チームもいまは落ち着かない雰囲気ですけど。〈エスポワール〉……いや……二号機のパイロットが決まって、テスト飛行の段階に入ることができれば、今まで滞っていたものもうまく軌道に乗るものと信じています」
 ユビュもうんうんと小さく首を振りつつ、おもむろに机の脇に置いてあった書類を手元に引き寄せた。
「そう、では早速本題に入ろう。先日のきみの報告では、その二号機のパイロット候補者が見つかったということだね。既に彼についての情報はこちらに届けられているけれども……」
 ユビュはその紙束に印字された、パイロット候補者という人物の、航空学校における書類だの成績表だの、身元調査の結果だのの情報を所在無さげにパラパラ繰ってみる。彼がこれらの資料を手にしたのは昨日のことで、まだ重要そうな情報をかいつまんで読んだだけだった。ユビュは、その書類に書かれた、デンスケ・カワサキ、という耳慣れない異国の響きの名前を、口の中で小さく発音してみた。
「この名前、日本人みたいだけど」
「はい、日系アメリカ人だそうです」
「どちらにせよ外国人だね」
「まあ仕方のないことです。純粋なフランス人で、〈魔術〉や〈霊能力〉に長けたものはなかなか見つかるものではありませんから」
 せっかく自分が見つけた候補者案が無下に却下されはしないかとロケも少しナーバスになっている様子で、あらかじめ考えていたのであろう、次のような弁明を長々と述べたてはじめた。
「先日作られたファントム兵の運用に関する条例には、EU圏外の人間をその機関の〈器〉とすることについての特別措置について明文化されていますよね。その〈器〉はむろんEU市民であることが望ましいけれども、それになりうる者の条件の特殊さ、またヨーロッパのみならず全世界の平和と共存に寄与するというファントム兵器の使用理念にかんがみて、いくつかの条件付きで非EU市民を徴用することを認めると」
 それ聞きつつ、ユビュのほうは少し苦い顔を作る。事実、スペインのファントム艦〈クリストバル〉は、ひとりのメキシコ人の少年を、そのファントムエンジンを駆動させるための〈器〉としているし、ファントム兵器使用に関する外国人特別措置についての条項は、この少年をクリストバルの〈動力源〉として採用するために付け加えられたようなものだった。だがメキシコ人の彼を除けばクリストバルのクルーはすべてヨーロッパ連合市民で占められているし、ドイツのファントム艦〈ビスマルク〉の場合など端的に乗員全員がドイツ人だ。ユビュにしてみれば、外国人を徴用するときの手続きの煩雑さや相互の信用問題を考えれば、自国の二機目のファントム戦闘機のパイロットは、EU市民か、少なくともヨーロッパ人であることが望ましかった。それに何よりもまず、たとえひとりの人間のことであれ、軍事大国アメリカの市民をヨーロッパ連合最大の軍事機密に触れさせることは、そのデンスケとかいう名の少年個人にとってもEU側にとっても、あまりにもリスクの高い選択であるように思われたのである。
 とはいえ、ここ数年間に及ぶフランスのファントム戦闘機二号機――正式名称SO2−Fのパイロット探しの難航ぶりを考えると、同機と編隊を組んで任務を行うことになるこの男が、期限ぎりぎりでやっと候補者を見つけてきたことそれ自体が奇跡かもしれない。二号機のパイロット探しが難航していた理由のひとつは先に述べたある〈身体的条件〉の特殊さであったのだが、より事態を混乱させた第二の理由は、相棒を選ぶこのアルフォンス・ロケという人間の我儘だった。

第一章(四)へ続く
2014年2月16日掲載。作者:上喜ミチヒロ(大海 www9.nixe.jp